福知山線廃線跡〜〜プロローグ〜〜
JR発足前の国鉄時代、福知山線は現在では考えられないぐらいの超ローカル線だった。
宝塚以北はまだ単線非電化で、普通列車の運転本数は一時間に一本以下だった。
車両も旧型客車がほとんどで、大阪駅から鳥取県の米子駅まで11時間以上かけて走る列車もあった。
宝塚以南は複線電化されていたものの、103系の普通電車が大阪〜宝塚を30分〜1時間に一本走る程度。
それが、1986年に全線電化と、三田までの複線化が完成した。
それまで特急列車はキハ80系とかキハ181といった車両が走っていたのが、
一気に485系による「北近畿」になった。
普通列車も気動車や旧型客車による運転はなくなり、113系が普通電車に充当された。
さらに、89年からは快速電車の運転が始まった。
そして現在は、篠山口まで複線化され、
ステンレスの普通電車が毎時4本走り、快速が毎時6本走る近郊路線になった。
ここ20年の間にここまで変貌した路線は他にはないだろう。
単線非電化のローカル線が複線電化のドル箱路線になったのだから。
で、86年の電化の際、武庫川の渓谷沿いを走っていたため、
複線化が困難であった生瀬〜道場がトンネルの連続する新線に切り替えられ、生瀬〜道場の旧線は役目を終えた。
その区間のうち、武田尾〜道場は橋梁が撤去されて、通行は非常に危険だが、
生瀬〜武田尾はある程度整備されて、ちょっとしたハイキングコースのようになっている。
ほとんど全区間で枕木や、速度制限標識など、現役時代を彷彿とされるものも残っている。
中間テスト終了後の5月21日、この廃線跡を訪れることにした。
つづく
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