蜻蛉日記〜〜鷹の現代語訳

E233系

つくづくと思い続けることと言えば、やはり何とかしてさっさと自分の意志で死んでしまいたいものだなあ、と思うことより他のことはないけれど、ただ、この一人いる子のことを思うととても悲しい。一人前に育てて、しっかりした妻などとに任せてこそ、死ぬにも気が楽だろうと考えていたのだが、どのような気持ちであてどのない暮らしをするのだろうと思うと、やはりとても死ぬことができない。
「どうしましょう。尼となって、この世のしがらみを思い切ることができるものか、試してみよう。」と話すと、まだ思慮も深くもないのだけれど、ひどくしゃくりあげて、おいおいと泣いて、「そのようにおなりになるのなら、私も法師になって暮らしましょう。何の生き甲斐があって、世間に交じって暮らしましょうか。」と言って、ひどくおいおいと泣くので、私も涙を止めることが出来ないが、あまりの深刻さゆえに、冗談で紛らそうとして、「では鷹を飼えなくなったらどうなさるのですか。」と行ったところ静かに立って駆けだしていって、小屋につなぎ止めてある鷹をつかみ、放してしまった。見ていた人も、涙をつなぎ止めることが出来ず、まして、一日中悲しかった。心の中に浮かんだ思いは、


夫との間で争い事が絶えないので、思案に余って尼になろうと子にうち明けると、その子が、まず空高く鷹を飛びさらせ、その「そる」鷹のように頭を剃って出家の決意を示したが何とも悲しいことだ。

ということだ。

夕方頃に、手紙が届いてきました。天下第一のウソだと思ったけど、「今は気分がすぐれないので、すぐには返事が出来ません」といって、手紙を持ってきた使者を帰らせた。



こんな感じでしょう。間違い等あったらコメントまで。