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さて、明日は源氏物語のテストなので、あらためて源氏物語の口語訳をはっておきます。


いつのまにか数日が過ぎて、(亡き桐壺更衣の七日ごとの)法事などにも、帝は熱心に御弔問なさりました。時が経つにつれて、どうして良いかわからない悲しみに沈まれていて,、女御や更衣の方々の宿直や警備もすっかりなさらなくなって、帝はただ涙にぬれての日をお送りになられているので、(桐壺帝を)見守る人までも湿っぽく涙がちな秋である。

「桐壺更衣が亡くなった後までも、人の気持ちが晴れそうになかった、あの人(=桐壺更衣)への御執心ですこと。」

と、弘徽殿などは、はっきり口にお出しになられます。

帝は一番目に生まれた皇子をご覧になさるにも、帝は親しく召し使う女房や, 御乳母などを更衣のふるさとにおやりになっては、光源氏の様子をお聞きになるのでした。

風も強く吹き出して、急に肌寒くなった夕暮れの頃,帝は(桐壺更衣のことを)常にもましてお思いだしになる事が多くて,靭負の命婦(ゆげいのみょうぶ)という女者を使者として(更衣のふるさとに)お遣わしになられました。月の出ている夕方の風情のある頃に、靭負の命婦を桐壺更衣のふるさとへ出発させなさって、帝はそのまま物思いにふけりながら、ぼんやりと夕月を見ておいでになられました。このような夕月の美しいときには、帝は管弦の遊びなどをなされたものですが、更衣は格別上手な琴の音を弾き鳴らして、ふと、お耳に入れる歌の言葉も、人より優れた桐壺更衣の姿や様子は幻になって帝にずっと寄り添っているように感じられるのですが、暗闇の中の現実にはそれでもやはり及びませんでした。

さて、命婦は桐壺更衣のふるさとに到着しまして、牛車を門内に引き入れるとすぐに、邸内の様子が身にしみるほどしめやかであるのを感じます。寡婦暮らしではあるけれども、桐壺更衣一人の世話のために、邸内をあれこれ手入れして、感じが良いほどにして暮らしておられたのが、(桐壺更衣の死に)母は悲しみにかきくれて途方にくれているうちに、邸内の草も生い茂り、野分の風にひとしお荒れ果てた感じがして、月の光だけが幾重にも茂ったつる草にも妨げられずに差し込んでいる。


そういえば源氏物語はもう一個あったような・・・そっちも出来次第はりますが、先に単語帳から更新します。しばしお待ちを。